KKEの現場から
【後編】森ビルと挑む、工学知を結集し「麻布台ヒルズ」の安全・安心を守る取り組み
― 高層階プールの安全を支えるスロッシング解析 ―
(左から)
森ビル株式会社 設計部 構造設計部 課長 遠山 解 氏
森ビル株式会社 設計部 構造設計部 チームリーダー 古田 卓也 氏
構造計画研究所 SBDエンジニアリング部 矢沢 大夢
構造計画研究所 エンジニアリング営業1部 佐藤 清貴
街づくりにおいて安全・安心を守ることは最優先だが、すべてにおいて明確な安全基準が存在するとは限らない。「パブリックアート」や「プール」などがその一例だ。構造計画研究所は、森ビル株式会社の依頼を受け、昨年末東京に誕生した新たな街「麻布台ヒルズ」における、それらの安全性を検討する業務を担当した。
後編では、両社が業界に先駆けて実施している、高層階プールのスロッシング解析による安全性検討について取り上げる。
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地震が引き起こす液面の揺動「スロッシング」
さまざまな分野の専門的知見を融合できること。その強みを駆使して、KKEが森ビルとともに挑んだもう1つのプロジェクトが、プールのスロッシング解析だ。そもそも「スロッシング」という現象は一般的にあまり知られていない。本プロジェクトを担当した 構造計画研究所 SBDエンジニアリング部 矢沢 大夢は次のように説明する。
「スロッシングとは、タンクなどの液体が振動を受けた際に大きくうねる現象です。液槽の周期と地震等による振動の周期が一致することで発生します。日本でも過去には、地震により原油の屋外タンクでスロッシングが起き火災の発生につながるなど、大きな事故が報告されています」
森ビルでも、2016年に超高層ビルの高層階プールが漏水する事象が発生した。森ビル株式会社 設計部 構造設計部 チームリーダー 古田 卓也 氏はこう振り返る。
「はじめはこの事象の原因が分からず、流体解析のエキスパートでもあるKKEに相談したところ、福島県沖で発生した地震によりスロッシングが発生したことが分かりました。水があふれプールの排水能力を超えると、漏水などにつながります。このとき初めて、森ビルとしてスロッシングのリスクを認識しました」
2019年には、フィリピンで発生した地震により、高層ビルの屋上プールから水が滝のように流れ落ちる動画が拡散。少しずつ業界内でもスロッシングの認知が高まり、現在では、国内の他の高層階プールやタンクにおいて基本的な安全対策が取られている。しかし、それ以上に利用者の安全を最優先に考慮し森ビルとKKEが取り組んでいるのが、スロッシングの解析に基づく安全性評価だ。
シミュレーション結果と現実の比較
安全性評価にあたり、まずはプールの図面や床応答波といった既存のデータをもとに、KKEの扱う流体解析ソフトウェア「Particleworks」で解析を実施。流体そのものを粒子で表現し、液体の微細な挙動や液面形状を細かく再現できるため、水がどこから、どのくらいあふれるかを可視化できる。その解析結果をもとに、プールの形状や什器の設置位置を変更するなど、スロッシングの影響を可能な限り低減することを試みる。
「実際、麻布台ヒルズにおいても事前に解析を行ったところ、プール内に段差を設置することで、スロッシングが発生した際の波の高さを0.78倍まで低減できることが分かり、プールの形状を変更しました」(古田氏)
さらに麻布台ヒルズの場合はそれに留まらず、プールサイド周辺への影響評価まで実施した。
「仮に地震が起きた際に重要なのは、プールの中にいる人が安全に避難できるかどうか。プール内で人が動ける速度や、避難困難な波の高さを仮定したうえで、人が避難出口までたどり着く時間が十分にあるかの検証も実施しました。さらに、生じた波によるプールサイドの家具の移動量も検討。それらの結果を受けて、プールサイドの梯子や家具の配置の見直し、安全な避難経路の策定につなげるなど、徹底的に安全性を検証しています」(矢沢)
こうした解析結果の信頼性は、2024年1月に発生した令和6年能登半島地震の際に示された。虎ノ門ヒルズステーションタワーの49階に位置するプールにおいて、地震発生の約1分後にスロッシングが発生。そもそも東京では大きな揺れはなく、安全性に影響はなかったものの、多少の水の流出が確認された。
後に、能登半島地震の地震波を入力して再解析したところ、導かれた水位の低下量は14.9cmであったのに対し、実際に計測された流出水位は15.0cm。わずか1mmの誤差に収まっていることが分かる。また解析結果の3Dデータと、監視カメラの映像データを比較すると、水の挙動や流出箇所もおおむね一致していた。さらに、溢れた水もプール周囲の排水溝に意図した通り排水され、小さな流出範囲に収まっていた。
「私たちは先例のない中で、考え得る限りの手段を用いて『これなら安心できる』という根拠に基づく検証を行います。しかしその妥当性を実際に確かめる機会はなかなかありません。今回、シミュレーション結果と実際の観測結果が一致したことは、私たちの検討の方向性が間違っていないことを示す補強材料になり得ます」(古田氏)
長期的な視点で都市を創り、育むために
今回のビッグプロジェクトに携わった面々は、皆並々ならぬ思いを持っている。
「世界中の建築家やデザイナー、建設に関わる企業など、あらゆるトッププレイヤーが集結し一つの街を作り上げていく。日本屈指の建築現場を通して、現場管理の方法や設計者の想いに触れる貴重な機会になりました」と佐藤は振り返る。
麻布台ヒルズは今後、実際に人が集い、暮らし、学び、つながることで、生きた街として機能していく。しかし、安全基準を満たすことが、利用者の「安心」に直結するとは限らない。本当の安心を生むためには、根拠に基づく安全性を多方面から検討して、それを正しく周知し、利用者との信頼関係を積み重ねていくことが不可欠だ。
そして、街は「点」で開発して終わりではない。目指すべきは、長期的な視点で都市を育み、次世代へと受け継いでいくことだ。そのために森ビルは、「100年先を見据えた港区全体のグランドデザイン」を描いている。点と点、ヒルズ同士が有機的につながり、一つの都市として機能する絵姿である。
「今回の麻布台ヒルズのプロジェクトでは、これまで両社をつないできた先人たちのバトンを受け継ぎ、若い世代のエンジニアの方々と新たな関係性を作ることができました。街づくりは複合的な要素が絡み、今回のような難題に突き当たることも多くあります。その中では、気軽に困りごとを相談でき、ともに試行錯誤を重ねていける信頼関係が何よりも重要です。今後も皆さんとともに、引き続き夢のある大きなプロジェクトに挑んでいきたいと思います」(遠山氏)
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構造計画研究所 SBDエンジニアリング部
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