KKEの現場から

【前編】森ビルと挑む、工学知を結集し「麻布台ヒルズ」の安全・安心を守る取り組み

― 「麻布台ヒルズ」のパブリックアートをめぐる安全性検討 ―

(左から)
森ビル株式会社 設計部 構造設計部 課長 遠山 解 氏
森ビル株式会社 設計部 構造設計部 チームリーダー 古田 卓也 氏
構造計画研究所 エンジニアリング営業1部 佐藤 清貴
構造計画研究所 SBDエンジニアリング部 矢沢 大夢

街づくりにおいて安全・安心を守ることは最優先だが、すべてにおいて明確な安全基準が存在するとは限らない。「パブリックアート」や「プール」などがその一例だ。構造計画研究所は、森ビル株式会社の依頼を受け、昨年末東京に誕生した新たな街「麻布台ヒルズ」における、それらの安全性を検討する業務を担当した。
前編では、ヒルズ内を彩るパブリックアートを陰で支える、安全性検討の取り組みについてお届けする。


森ビルが追求する都市の理想像

2023年11月、都心の真ん中に新たな街として誕生した「麻布台ヒルズ」。
“緑に包まれ、人と人をつなぐ「広場」のような街 - Modern Urban Village -”。をコンセプトに、多様な都市機能が高度に融合しシームレスな街を作り上げる。

神谷町駅から六本木一丁目駅の間、約8.1haもの広大な区域を対象に、老朽化していた都市インフラを整備し回遊性を向上。30年超の年月をかけてようやく開業した真に新しく豊かな都市のあり方は、まさに「ヒルズの未来形」と言える。

森ビル株式会社 設計部 構造設計部 課長 遠山 解 氏によれば、森ビルが目指す街づくりは、「Vertical Garden City - 立体緑園都市」という考え方に集約される。
「建物を高層化し地下を有効活用することで、職、住、遊、商、学、憩、文化、交流などの多彩な都市機能を立体的かつ重層的に組み込む。空いた地上は緑で覆い、誰もが徒歩であらゆる施設にアクセス可能なコンパクトシティを実現する構想です」

都市を作るうえで、安全・安心を守ることは最優先事項だ。森ビルが目指すのは「災害時に逃げ込める街」。大地震が起きてもそのまま街として機能し続けられるよう、耐震設備や備蓄倉庫の導入、定期的な防災訓練の実施など、ハードからソフトまで徹底的に安全を追求する。
一方で、都市の中には安全性の基準やルールが明確に存在しないものもある。「パブリックアート」や「プール」がその一例だ。ニッチな対象物であるがゆえに、安全性を検証する決まった方法がない。しかし住民や利用者のためには、安全であることを根拠に基づいて示すことが森ビルの使命でもある。
答えのない難題に立ち向かうべく、森ビルは構造計画研究所(KKE)とタッグを組んだ。

自由な芸術表現と安全性を両立するチャレンジ

話は少しさかのぼるが、森ビルの代表的プロジェクトとして、2003年に開業した「六本木ヒルズ」。そのシンボルとして66プラザに位置し、ひときわ存在感を放つパブリックアートが、高さ10mの巨大な蜘蛛の像《ママン》(2002年/1999年)だ。現在森美術館にて個展が開催されている、ルイーズ・ブルジョワ氏の作品である。
(ルイーズ・ブルジョワ展:https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/bourgeois/ 会期は2025年1月19日まで)

実はこの像、世界に数体存在するのだが、六本木ヒルズの像だけがもつ構造的な特徴があるという。それは何か?

ルイーズ・ブルジョワ《ママン》(2002年/1999年)

答えは「免震構造」になっていることである。大型アートを設置するうえでの安全性検討は、それまでほとんど前例がなかった。当時、1990年代から森ビルと協働し、六本木ヒルズのランドマークである「六本木ヒルズ森タワー」の構造設計も担当したKKEに、《ママン》の構造検討について白羽の矢が立った。

当時のKKEの設計担当者がアメリカの制作現場まで赴き、現地の技術者と対話を重ねる中でたどり着いたのが「免震」だった。アートには明確な図面が存在しないこともままある。そのため、対象物をまずはモデル化した上で、脚部にどれだけ応力がかかるかを解析した。
実は、8本ある蜘蛛の脚は地面に固定されていない。地震の際には任意に動いて振動を分散させる仕組みだ。

《ママン》の振動解析の様子

同じく六本木ヒルズ内にある、高さ8mの彫刻作品《薔薇》(2003年)も、KKEが振動解析を担当した。事前に解析を行ったところ、アート自体の固有振動数が、アートの立脚している下部のデッキ構造の固有振動数にほぼ合致してしまうことが判明。そのままでは地震や交通振動を受けた際にアートの振動が増幅してしまうため、あえて花びら部分に重りを入れることで共振を回避している。

これらの取り組みを出発点として、KKEは、虎ノ門ヒルズやJAKARTA MORI TOWERなど、森ビルが手がけるプロジェクトにおけるパブリックアートの構造検討を多く請け負ってきた。

「文化・芸術」は森ビルの街づくりにおける重要な柱の一つであると、遠山氏は語る。
「森ビルが作り出す街は単なるビル群ではありません。都市には、人が集い、気付きやひらめき、交流が生まれる磁場が必要です。そのためにアート作品や文化施設を多く設置しています。一方で、自由な表現の上に成り立つアートには、建物のように体系的な耐震設計手法が存在するわけではありません。しかし、アーティストの表現を尊重しつつ、安全も守ることが私たちの義務です。根拠に基づいた安全性を示すために、KKEには構造的な観点からアドバイスをいただいています」(遠山氏)

麻布台ヒルズを彩る独創的なパブリックアート

麻布台ヒルズにおいても、さまざまなパブリックアートが目を引く。
その一つが、気鋭の美術家オラファー・エリアソン氏が手がけた《相互に繋がりあう瞬間が協和する周期》(2023年)だ。麻布台ヒルズ 森JPタワー内のオフィスロビー、広々とした吹き抜け空間に連続的に吊るされた構造体は、大きいもので一つ750kgにもなる。
天井から鉛直方向のワイヤーでのみ固定された構造だが、このままだと地震を受けた際には作品が大きく振り子のように揺れることになる。

オラファー・エリアソン《相互に繋がりあう瞬間が協和する周期》(2023年)

構造検討を担当した、構造計画研究所 エンジニアリング営業1部 佐藤 清貴は、次のように振り返る。
「この作品が設置されているオフィスロビーは有事の際の避難経路にもなります。したがって、作品が損傷を受けないだけではなく、『通行人になるべく恐怖感を与えないこと』を最重視しました。そのためには揺れを最小限に抑えなくてはいけません。ドイツにいるアーティスト側の構造技術者や、制振装置の開発元企業と何度もWeb会議を重ねながら、日本と海外との安全基準の違いにも気を配り検討を進めました。作品の構造や組み立て方を学ぶため、現地のアーティストのスタジオにも足を運びました」

結果的に、天井部分に制振プラットフォームを導入。揺れを受けた際には、作品が天井と平行に円を描くように動き、振動を最小限に留める方法を採用した。実際に作品の頭上を見ると、円形の制振装置が設置されていることが確認できる。

「こうしたアート作品は、コーディネーションを担当する森美術館と相談の上、ラフなプレゼン資料やパーツのみが存在する初期段階から、作品を図面化するなどして安全面の検討を進めていきます。KKEには外国籍のエンジニアも多く在籍するので、海外の企業との技術的な会話を英語で主導してもらえる点は、大きな利点になりました」(遠山氏)

さらに、同じく中央広場に設置されたジャン・ワン氏の作品《Artificial Rock. No. 109》(2015年)。本作品は既存作品であり、作品に関する情報が少なかった。
「恒久的な屋外展示に耐えうる構造にするため、基礎部分を改めて設計し直しました。作品の構造が分かる図面がなく複雑な形状であったため、弊社が扱う移動式計測デバイス『NavVis VLX』を使用して作品をスキャンし、3次元データを取得。そのうえで、作品自体に影響を与えないような形でベースプレートを設計し、地中に埋め固定しています」(佐藤)

ジャン・ワン《Artificial Rock. No. 109》(2015年)をNavVisで計測する様子

ステンレス製のこの作品は、3mという高さに対し重量が100kgと比較的軽い。そのため、設計初期段階に行う風洞実験から算出された、作品の設置場所で吹く風の強さ(風加重)も考慮に入れたうえで検討を行った。

その他、タワープラザエントランスの構造物から、住居エリアに展示されたアート作品に至るまで、全てにおいてその安全性を検討済みだ。パブリックアートの安全性をここまで追求するのは、現状日本で森ビルだけだと言っても過言ではない。
なぜ森ビルはKKEに依頼し、そしてKKEはそれに応え続けられるのか?

奈良美智《東京の森の子》(2023年)も、裏では安全性の検討が念入りになされている

「私たちからしても、新しく答えのない取り組みに挑むのは不安です。しかしKKEなら、森ビルが超高層に取り組む黎明期から構造設計を依頼する中で培った人と人との関係性、そして確かな技術力があります。何よりKKEには、他の企業が引き受けないような難題についても、気軽に相談に乗ってくれる風土があります」(遠山氏)

 KKEは60年以上前に構造設計事務所からスタートしたが、現在は建設、情報・通信、製造など、社会のあらゆる場面における課題の解決に取り組んでいる。設計専業ではないからこそ向き合える課題があると、佐藤も自負する。
「KKE社内には技術分野も対象業界も異なるエンジニアが数多く在籍します。特殊形状のアート作品など前例のない対象であっても、さまざまな専門家の工学知をセカンドオピニオンとして取り入れながら試行錯誤し、信頼できる一つの解を愚直に見出していける。この点は大きな強みだと言えます」

>>後編はこちら


■お問い合わせ先
構造計画研究所 エンジニアリング営業1部
eng_1all@kke.co.jp
03-5342-1136

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