講演レポート

社会シミュレーションと防災・減災 -複合領域の研究にどのように取り組むか?-

現在、京都大学 防災研究所の畑山研究室では、当社の扱うマルチエージェントシミュレータ「artisoc」を活用した避難シミュレーションの研究が進められています。本記事では、京都大学 防災研究所 教授 畑山氏に、防災分野における社会シミュレーションの可能性や意義について伺いました。

畑山 満則 氏
畑山 満則 氏

京都大学 防災研究所 巨大災害研究センター
災害情報システム研究領域 教授


東京工業大学大学院総合理工学研究科修了後、2000年より京都大学防災研究所にて、社会防災研究部門 防災社会システム研究分野 助教授(准教授)などを務めたのち、2016年より現職。GISの開発から端を発し、ICTを活用した防災や災害対応についての研究に従事。これまで災害発生時における行政の災害対応支援や民間現地支援活動を数多く行うとともに、現在はその知見を活用した総合減災システムの開発研究にも取り組む。

防災分野におけるマルチエージェントシミュレーションの活用

 巨大災害は発生頻度が低いため発生時をイメージしづらく、それゆえ対応が難しいという課題があります。特に、東日本大震災のようなレベル2の津波(数百年から千年に一回程度の頻度で発生し、影響が甚大な最大クラスの津波)に対しては、発生頻度の低さから、国としては、被害をゼロに近づけるハード整備よりも、避難を容易にすることで犠牲者を最少化する方針を優先させる意向を示しています。しかし、現状行われている防災訓練では参加者は限定的ですし、避難行動の妨げになる障害なども想定されていない場合がほとんどです。そこで、私は全員が参加できる避難シミュレーションというアプローチで減災を進めようとしています。

全員参加型の防災訓練をシミュレーションで実現

 私の取り組む「マルチエージェントシミュレーション」は、複数の行動主体(エージェント)が、さまざまな行動基準に沿って相互に干渉しながら自律的に振る舞う様子を表現できる仮想実験です。一見予測不可能な現象をモデル化し、個々のエージェントの相互作用が積み重なった結果としてマクロな現象を捉えることにより、その仕組みを解析するのに適した手法です。
 避難行動をマルチエージェントシミュレーションに適用するためには、いつ逃げ始めるか、どこへ逃げようとするか、どのような経路で逃げるのか、さらにどの程度の速さで移動するのかといった情報を設定することが必要です。避難の移動速度については、東日本大震災で生き残った方が、どの程度の速度で歩いていたかという数値をシミュレーションの参考にしています。とにかく津波から逃げるといった避難行動は、目的を持って特定の方向に動こうとするので、シミュレーション自体の信頼性は高いと考えています。

避難シミュレーションによって得られる気づき

 マルチエージェントシミュレーションを活用した避難シミュレーションでは、いくつかの新しい発見もありました。その一つ、高知県黒潮町は、内閣府が公表した南海トラフ巨大地震での最大津波高が34.4メートルと想定されています。これほどの高さになると、シミュレーションを行っても、多くの人が津波に追いつかれるという結果になります。町では対策を行っていますが、「どうしようもない、諦める」といった住民の声もあったそうです。
 シミュレーションでは、地震発生から10分を超えて高台に逃げた人は避難途中で津波に追いつかれるという結果が出ました。10分以内に逃げ始めた人は高台に避難することができました。
 ただし、興味深い結果も得られました。地震発生から10分経って地区外に出ていなかった場合は、引き返して町内にある避難タワーを目指したほうが、多くの人が助かるということがシミュレーションでわかったのです。そこで、町で実際の防災訓練で引き返しての避難を実施し、住民の方々にも体験していただきました。
 シミュレーションの事例としての大きな成果は、何も考えていなければ、災害時に津波が来る方向に引き返すといった絶対にやらないことを試し、有効だと分かったことです。行政もそのような危ないことはやらせない、モラル的にも躊躇されるような避難方法なのですが、タブーであってもシナリオとして設定できるからこそ「なるほど折り返してみるという手があるのか」という結果が出てきたのです。

シミュレーションの様子

 エージェントのシステムを使った事例は黒潮町だけではなく、静岡県の焼津市でもあります。焼津市は、地震発生から津波が来るまでの時間が極端に短く6分30秒ぐらいで来てしまいます。静岡県では地震発生後4分間は動けないと想定しているので、逃げる時間は2分30秒しかありません。そのため、当初は多くの人が津波の被害に遭うというシナリオしか出てこなかったのです。
 ところが、地元の高校生と一緒に調査をしたところ、「そんなに遠くに逃げなくても近くに3階建の家がたくさんある」と話し始めました。「公共の避難所じゃなくても、近くのお宅に逃げさせてもらったらいいじゃないですか」というわけです。それで、逃げる場所として個別に協力を求めるような形の避難を考えるといったこともやりました。
 これもやはり、シミュレーションを実施したからこそできる話です。実際に訪ねて行って、あそこの家はどうだろうかと検討したり、話し合いによって、避難を受け入れる家と避難させてもらう家との関係を作る事例も出てきています。

情報技術がブレイクスルーたりうるには

 マルチエージェントシミュレーションを活用することによって、災害を未然に防ぎ、発生時した際にはその被害を抑制し速やかな復旧を図ることが求められる防災分野において、これまでにない対応策の案出が期待できます。
 これまで述べてきた通り、シミュレーションをはじめとしたICT・情報技術は、社会問題に対する強力なツールです。しかしその一方で、情報技術単体では社会問題の解決は望めません。土木など別領域の知見と、情報技術の可能性をうまくクロスさせることが重要です。
 私は防災が専門ですが、このような、境界領域にある社会問題は、情報技術だけでは解決しないのです。たしかに、情報技術がブレイクスルーになることは十分にあり得ます。あるいは、情報技術しか、もうブレイクスルーは起こせないのではないかという面もあると思います。ただ、そこにどう挑むかという時に、情報システムがあればいけるという話ではなく、やはりこれまで積み重ねられてきた分野の知見と、新しい情報技術の可能性というものをクロスさせるところに、おそらく研究の価値が出てくると思います。
 そのためには、言われたことを情報化する、システム化するというのではなく、情報技術の可能性がどういうところにあるのかもディスカッションに入れながら、相互に知識を共有し社会問題に立ち向かっていくと、今後、社会を大きく変えるような情報技術が出てくるのではないかと考えています。黒潮町や焼津市の避難シミュレーションを例にとれば、現実にはなかなか考え付かないシナリオを設定して、効果を検討できるというメリットがありました。行政だけではなかなかできないことも、先端的な情報技術によって方策が出てくるという好事例だと思います。
 シミュレーターという先端的なシステムをはじめとする情報技術の進歩は、社会問題の解決の可能性を広げるものです。しかし、技術だけではなく、社会で困っていることに対して現実世界での利用イメージをデザインし、社会で活動している人と領域を共有し超越することが、本当の社会的な価値を生むと考えています。

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